インプットは割りが悪い【森博嗣】新連載「日常のフローチャート」第1回
森博嗣 新連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」連載第1回
【インプットとアウトプット】
このうちアウトプットといえる行為は、庭仕事、工作などである。そのほかは、ほぼインプット。インプットは楽だし、躰も心も休まる。のんびり過ごす時間といえる。アウトプットする行為は、頭を使い、新しいものを生み出しているので生産的だが、体力を消耗するから疲れる。若いときに比べると、インプット量が増えているのは否めない。
仕事で文章を書くのは、もちろんアウトプット。アウトプットしているからこそ対価が得られる。作家の仕事は、とにかく減らす一方で、もはや作家とはいえないほど、なにもしていない。基本的に人気者になりたくない病を患っている人間なので当然の帰着。
では、どうしてあっさりと引退し、断筆しないのか、というと、そういう決断をするほどのことでもないし、辞めることで目立ちたくない、という気持ちが強い。世の中というのは、不連続な行為に対して大勢が色めき立つ仕組みになっているから、できるだけ当たり障りのないよう、そうっとしておいたまま、少しずつ離れるのが得策といえる。熊に出会ったときの心得と同じだ。
自分のやりたいこと、憧れの生活に対して、自分が自由にできるお金が少ないと思う人は、とにかく働くしかない。働くのが最も安全で効率が高い解決策であり、自由を手に入れるための近道である。だが、それをすると時間がなくなり、いろいろと不自由な思いをしなければならない。仕事というのは我慢をする時間なのだから当然だが、文句をいいたくなるのもまた自然。まあ、このあたりは折り合いというのか、自分をコントロールし、つまり自分を騙し騙し使うしかない。そういうことができる人は多い。社会の大多数が、我慢しつつ働いているのだ。やってみると、それほど難しいことではない、らしい。
でも、少しずつでも、自由に近づきたい。まずは、そう思うことが大事。近づきたいと思っただけで、なんとなく楽しい気分になれる。自由に近づくことは、別の言葉にすると「幸せ」だ。人が幸福感を感じるのは、自由に近づこうとしているときだ。逆に、不幸を感じるのは、不自由に近づいているときで、現状ではなく、少し未来にやってきそうな不自由を恐れて、気持ちが萎える。
インプットしているときは、ものを食べているときと似ていて、本能的な欲求を満たしているから幸福感が味わえる。だが、食べてばかりはいられない。すぐに満腹になり、食べられなくなる。インプットしすぎることに対して、躰が拒否反応を示す。
アウトプットしているときは、運動しているのと同じで、爽快感が得られる。楽しさは、たいていの場合、アウトプットによってもたらされる。
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「無事」を重ねることが、人生の成功である。少し気をつけていれば、誰でもできる。ときどき予期せぬ不運が襲ってきても、また少しずつ無事を重ねて挽回していけば良い。勝たなくても良い。負けても良い。またの機会を待てることこそが、成功の価値なのである。(第35回「充実した人生に唯一必要なもの」より抜粋)
◉人生はプログラミング◉水を差しにくい社会◉話し上手と書き上手
◉老人になっても社会人である◉余計なものを持つことの価値
◉気持ちという質量◉「潔癖社会」純度上昇中◉ジェネラリストは存在しない?
◉どうなれば成功なのか?◉適度な自己中のすすめ◉アイデアを思いつける人
◉思いつきの手法◉新しい価値は無駄から生まれる◉頭は知識で肥満になる
◉楽しければそれで良いのか?◉効率か快適か、それが問題だ
◉自己利益が最重要な方針◉作るために必要なこと
◉一人でいることは、自由の象徴◉充実した人生に唯一必要なもの
◉AIが活躍する未来って?◉的確な質問をする能力
◉ネットのモラルはこれから◉フィクションを楽しむ条件
◉いつ死んでも良い生き方とは etc.